再発を繰り返すうつ病(大量の精神薬投与、精神科への強制入院)とリストカットが完治して、自分を認めて人生を楽しめるようになれた方から。

松尾先生、お元気ですか? 遅くなりましたが私の体験談を送ります。少しでも多くの方の目に留まり、お役に立てればと思っています。長くなりましたが、読んでもらえたらうれしいです。

.

『スカイプでセラピーを受けて ー私の体験談ー』

- 予約を入れた理由 -

私が最初に松尾先生に連絡した理由は、激しい落ち込み(学校生活でのプレッシャーから 何もやりたいと思えない、理由はないけど泣きたい、もう死んでしまいたい、友だちに会っても笑えないなど)、
それから食欲不振、不眠、過敏性大腸炎、偏頭痛、生理前のひどいイライラなどの体調不良に悩まされていたからでした。

元々私は10年前にも軽いうつだと診断されたことがあり(リストカットもしていました)、今回はその10年前の状況に非常に似ていたために、慌ててインターネットで専門家の方を探しました。その中で先生のクリニックのHPを見つけ、何かのご縁で先生に出会うことができました。


- 問題は何か? (家庭環境と抑圧された心) -

スカイプでお話をしていただく中で、現在のうつ状態のそもそもの原因は、私の育ってきた家庭環境だと先生に教えてもらいました。
最初はピンときませんでした。けれど先生のお話を通じて、次第に社会の目、親の目を気にして心を、自分を押さえ込んでいることに気がつかせていただきました。

そして、先生にその問題の根を掘り下げていただくうちに、私は今まで見ないようにしていた、自分の嫌な部分を目の当たりにしました。


我が強く、面倒くさがり、受け身、自分本位、そのくせプライドだけは異様に高い、傲慢、思いやりもない、感謝をしない、自分だけに甘い、自分に都合のいい考え方、すぐに人のせいにする、人を利用する・・・・書き出せばきりがありません。

この作業を最初私は、何度先生にご指摘いただいて、落ち込んでもすぐに、
「いや、そんなことはない。自分がそんなに悪いわけがない」と、自分に都合よく考え、認められませんでした。そうして、自分から逃げ続けてきました。
これが、私が自分自身を苦しめてきた原因だったんだと思います。
自分と向き合わず、自分の気持ちから逃げ、傷ついても平気なふりをして、心に固く蓋をして、自分自身を殺そうとしてきたのです。

そのことを先生に指摘していただくまで、私は全く気づいていませんでした。そして、逃げ続ける私に、先生は何度も根気良く向き合ってくださいました。
でもそのうちに続けていく中で調子が良くなってきて、友だちにも会えるように、学校にも通えるようになった私は、自分の嫌な部分を見るという作業を面倒くさい、辛いと逃げようとしました。


- 問題 2 (恐怖と孤独からの逃避) -

自分の心から逃げ続ける理由、それは一言で言えば、孤独と恐怖からでした。
私は、先生に問題を気づかせていただく度に、被害妄想で、自分のことを世界で一番不幸のように思っていました。
それは、自分に酔うことが一番の逃げ道だったからです。

どうせ誰も分かってくれない、そう勝手に思い込んで自分ひとりが苦しんで、殻に閉じこもっていました。
いつも、誰も私を分かってくれないと思い続けてきましたから・・・。

親だって、結局私を理解してくれない、私の気持ちに気づかない。
そんな寂しさからの不信感が、いつも根底にありました。

だから何もかもが怖くて、先生すら敵に見えて、怯えて先生を見下し、先生にも大変嫌な思いをさせました。
真剣に向き合ってくださる先生を信じ切れなかったのです。本当に馬鹿でした。

私の敵は目の前の先生じゃない、自分の中の弱さとずるさだと教えていただいた時に、はっとしました。 問題は、何より自分の中にある。
見なかったことにしてきた心の醜い部分を認めずに、逃げてきたことが問題でした。
それなのに私は、自分の問題を先生がどうにかしてくれる、そう思っていました。
そしてそれは大間違いでした。

まっすぐに自分の痛いところに気づかされる度に、自分に言い訳をして逃げて、責任転嫁をして、正当化しようとしてきました。
けれど、「本当に逃げ場所なんてあるのか? 今まで逃げてきた結果、安心して過ごせるようになったり、幸せになれたのか?」 そう先生に聞かれ、
逃げ場所なんてない、逃げている間はずっと苦しい地獄が続くだけだ、と気づかせていただきました。

そしてこんなに嫌で、駄目な私に、先生は向き合ってくださる。私は一人じゃない。
そのことに気づかせていただいた時に、少しでも逃げずにがんばろうと、相変わらず駄目ながらも前進しようと思いました。


- 転換期 (隠してきた本当の気持ち) - 

そして先生は、なぜ私がそういう性格になったのか、ずっと分からなかった、ずっと不思議に思ってきたことを丁寧に説明してくださいました。
機能不全な家庭で育ってきた子どもの持つ傾向、それはピタリと当てはまっていました。

「自由に生きていい。好きなことをやりなさい」
そういう親の言葉を、本当はプレッシャーに思ってきたんじゃないのか?
本当は、親の期待に応えなきゃいけないと思って生きてきたんじゃないのか?
自己表現する道を選んだのは、そうしなければ自分の存在を確かめられなかったからじゃないのか?
本当は両親のことをこんな風に思っていたんじゃないのか?
先生にそう導かれる度に、涙が止まりませんでした。

自分は恵まれているのだから不満を言ってはならないと、気持ちを封じ込めてきました。
「あなたは好きに生きていい」
そう言って、私と決して真剣には向き合ってくれなかったお父さんとお母さん。
本当はその愛情を、ずっと重いと感じていました。
それをずっと言ってはいけない、思うこともいけないと思っていました。

でも先生は、「感じたこと、思ったことに良いも悪いもない。正しいも間違いもない。あなたが感じたことは全部本当のことなんだよ」と言ってくださいました。
嬉しかったです。私、辛いって思っていいんだ、そう思えたらボロボロ泣きました。

どうせ誰にも分かってもらえない。親にもずっと分かってもらえなかったから。
結局、親は子供の気持ちなんてちっとも分かってない。
だから心に蓋をして、感じた気持ちをなかったことにしてきてしまった。
だからずっと寂しかった。でも、先生がいました。
抱えてきた言っちゃいけないと思ってきたこと、それをやっと認めてもらえて、自分でもその気持ちを理解した時、わんわん泣いて、身体と心が軽くなりました。
そして久しぶりに、ぐっすりと深く眠ることができました。

本当は、すっごく寂しくて、辛かった。だから怖くて不安で、心に浮かんだ疑問を誰にも聞けませんでした。
自分を守るために作り上げたプライドを纏って、ふんぞり返って、そのくせ内心ビクビクして、いつか弱い自分を知られたらどうしようと生きた心地がしませんでした・・・。
その怯えた気持ちを感じては生きていけないから、しっかりと蓋をしてきました。そしてその蓋を、先生は揺さぶり、開いてくださいました。

私の両親は、私が望んだ愛し方はしてくれませんでした。
でも先生は、もし先生が私のお母さんだったら、私が60点でも褒めてくれる、私が凹んでいたら抱きしめてくれる、そう言ってくださいました。
その言葉が忘れられません。

「ずっと言えなかった、誰にも聞けなかった」リストカットのことを先生に伝えた時、
「恥じることなんて全然ない。切った回数は、あなたが本気で生き延びたいと思った回数でもあるのだから誇りに思いなさい!」
そう言っていただいて、あんなに嬉しかったことはありません。
先生がいてくださって良かった。嬉しい。
生きて、この言葉をかけてもらって良かった。そう思いました。
そして、自分をもっと大切にしてあげようと思い、やっぱり泣きました。



ー 結び (自立に向けて) -

今はまだ進もうと覚悟を決めたばかりで、もちろん心は弱く逃げ出したい時もしょっちゅうあります。それでも踏みとどまる、逃げない、少しずつでもいい、変わっていこうという意志があります。
先生が見ていてくださるから、自分を幸せにできるのは自分だけだと教えていただいたから。
もう人生を楽しんでも、幸せになってもいいんだと許可をあげて、これからはゆっくりでもいい、自分を大切にして、周りの人も大切にできる人間になりたいです。

今は少しずつですが、毎日の生活の中に「嬉しい!」を発見できる自分に驚きながら、何だか心がとても落ち着いていて穏やかな気分でいます。
そして、あの時逃げなくて良かったと、本当に思います。
あの時逃げていたら、今もまだ自分で自分を地獄に縛っていたんだと思います。

松尾先生、ありがとうございます。こんなにうじうじした私を今まで見放さずに、いつも真剣に向き合ってくださって本当にありがとうございます。
先生に出会えて私は幸せです。先生に教えていただいたことを活かせるように、これからもがんばりますのでよろしくお願いいたします。

つたない文章ですが、今まで先生のセラピーを通じて私が感じてきたことです。
これがもし他の誰かの助けになれば嬉しいです。